パルタニウスの手記 (Notes by Paltanius)

カントーのパルタニウス(Paltanius of Kanto)による手記。

良い教師とは何か

良い教師とは何か

 

子供を教える仕事をしている。もう1年になる。

 

 

「できない子」にいかに接するか、いかに伸ばすかというところが、教育者の力量の見せ所とわかった。

 

確信をもって言おう。

 

良い教師とは、相手の個性を見極め、「伸びたい方向へ」伸ばせる者。「できない子」を切り捨てず、本人の価値と能力を見出し、たとえ短期的成果がでなくとも長期間に渡って信頼し、適切な支援をし続けられる者のことである。

 

短い期間教育者の端くれをやってみたが、ほんの少しだけでも、この理想に近づけたのではないか、と信じている。

 

 

残酷な現実を直視する。試されているのは教師自身であると知る。

 

子供の教育をやっていて恐ろしいのは、残酷なまでに、勉強には生まれついての素質が関わっているという点を観察できてしまうところだ。

 

授業は個別指導で、密接に生徒と関わっているのだが、様々な生徒をかけ持ちで教えていると、抽象概念の理解力、言語能力、記憶能力など、勉強において中核を占める重要な資質の有無が確かに存在することに気づいてしまう。

 

もちろん、発達過程には個人差があるから、あとから急速に伸びてくる子もいるには違いない。しかし、こういう事実を目の当たりにすれば、教育における努力信仰を安易に主張することがどれだけ馬鹿馬鹿しいかがわかるだろう。また、管理する側の事情で生まれた画一的な教育というものが、個人の間にどれほどの差を顕在化させているかということも、認識できるであろう。

 

たしかに、努力すれば能力は確実に向上する。だが、「できない子」が半年かけてようやく掴みかける理解を、「できる子」は1時間の授業で獲得する。ここには埋めがたい壁が存在する。

 

「できる子」が褒められ、どんどんステップアップしていく一方、「できない子」は怒られ、停滞を強いられている。特訓という名目で無意味な負荷をかけられ、自信とやる気を喪失していく。

 

教える仕事は、こうした残酷な現実を直視しなくてはいけないものなのだと学んだ。

 

 

 

だがしかし。

 

それでも私は、「できない子」を切り捨てたくない。

 

「うちでは手に負えません」と他のいくつもの塾を追い出されて流れ着いた子がいる。母は嘆いていた。彼は中学三年生にしてアルファベットを書けなかった。1時間かけて教えても、AからZまでの順序すら思い出せない。おまけにへらへらしているから、以前の教師はさぞ怒り、匙を投げただろう。正直に告白すれば、私もそうなりかけたことがある。

 

しかし、それで私が投げたらどうなるか。彼の自信はまたも打ち砕かれてしまう。自分の存在価値を見出せずに生きなければならない人間を、この国に一人増やすことになる。彼の周囲にいる人間が悲しい思いをする。

 

この問題は彼自身の努力の問題である以上に、私の努力の問題であった。私は覚悟を決めて、諦めずに指導を続けてみた。中学生のころ自分が言われたくなかったことは、言わないように気をつけた。他人との比較も完全にやめた。成果は過去の本人との比較をして、そのポジティブな差分だけで頑張りを評価するようにした。

 

 

 

成長と学び

 

1年たった現在、彼は関係代名詞の複雑な文法問題も解けるようになった。わからない単語は自ら辞書を引いて調べるようになった。宿題をきちんとやってくるようになった。今の彼には明らかに自信が宿っている。わからないものも、いつか理解できるはずだ、という信念が芽生えている。

 

客観的に見てしまえば、彼は今でも、他の同級生より圧倒的に進みが遅いし、知識も少ない。数学では、隣の中学三年生の女の子が高校数学を先取りしているなか、比の概念から復習しなくてはならないこともあった。

 

だが、指導する過程で、私は彼に圧倒的な強みがあることを発見した。どれだけ他の先生から怒られようとも、馬鹿にされようとも、彼は必ず毎日塾に来た。わからないから、宿題は忘れたふりをする、それを咎められ怒られる、という日々だったが、それでも来ることだけはやめなかった。抜きん出たタフネスが備わっていたのである。

 

そこで私は、私や彼の親、国、学校の都合で決まるカリキュラムの「あるべき進度」など捨て去って、諦めずに来て机に向かうこと自体を褒めるようにした。また、わからない単元は、わかるまで角度を変えながらずっと解説した。受験などどうでもいい。

 

たとえば一次関数は、2ヶ月に渡って教え続けた。xとは何か、数直線とはどんなものか、なぜ式をグラフにすると直線になるのか、誇張抜きで100回ずつは話しただろう。地球に申し訳なるくらい紙を消費して図解した。時には小学校4年生の教科書に戻った。

 

このプロセスでは、彼は文字情報よりも図のほうが理解しやすいことが判明した。そこで私はテキストすら打ち捨てて、その日必要な図とわずかな文字情報だけを授業で見せるようにした。解説は図を操作しながら対話を重視して行った。これは明らかに効果があって、理解速度は随分向上した。

 

私の教育成果自慢のようになってしまって恐れ入るが、彼は間違いなく、単にテストの点数をあげるための小手先の勉強よりも重要なことを学んだと思う。

 

・知らない単語は辞書で引けるということ(自分で調べる力)

・やり方の工夫で勉強のやりやすさが変わること

・自分にあったやり方が存在すること

・宿題をこなすことによって、自分の知識が増えて、さらに褒められるということ

・考えた結果間違いをしたなら、それは良いミスだということ

・知識が増えると互いに繋がって、別の何かの理解に役立つこと

・テスト勉強=本来の勉強なのではないということ

・世の中には見捨てない人がいるということ

・自信がつくとやる気がでること

・様々な言葉や概念の引き出しがあると伝えたいことを伝えられるということ etc...

 

 

 

まとめ

 

私は、いわゆる受験勉強指導を提供する塾で働いてはいるが、「できない子」を生み出し、進学実績・学歴といった短期的な成果を追求して、本質的理解をじっくり時間をかけて育む本来の「学び」を軽んずる社会にはっきりと「否」を突きつけたい。

 

同時に、そんな社会のあり方を無意識に再生産し、お決まりの教師面をして指導を行う自分に対して、いつも激しい批判意識に駆られる。

 

「そろそろここはクリアしないとね。カリキュラムから遅れちゃっているよ」

 

うっかりすると言いかねない。

 

これは実は相手のためではなく、自分の都合のために言っているのだと気づいてから、強く戒めるようにしている。

 

私は教育関連の仕事につくわけではないけれども、どんな場所であれ、人の育成というのは避けて通れないだろう。その時、なんとしても相手の資質を潰さず、伸ばしてあげたいと思う。

 

 

 

塾の教師アルバイトで得た私自身の学びを、ふと思い立って書き残してみた。いつか人の役に立つことを祈りたい。

 

 

 

 

才能論。細分化と適性の視点。

 

「『行動遺伝学』によって、あらゆる能力のだいたい50%は遺伝によって説明できることがわかってきました」

(引用元:「知能が遺伝する」という事実に、私たちはどう向き合うべきか? | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

ストレングスファインダーなり、マイナビのグッドポイント診断なり、昨今の「統計データ等科学的手法に基づく才能分析」の充実ぶりやその内容を見ていると、結局のところ、自分が取り組む物事をどこまで高いレベルでできるかは、根性論以前に素質で決まってくると結論づけてよいと思う。

 

「では私の素質とは何か。どう見つければいいのか。どう伸ばせばいいのか」。次なる質問はこれだろう。

 

遺伝で才能や素質の大きな部分が決まってくるということは、一定の年齢を超えたら基本的には死ぬまでその内訳は変わらない。つまり一生にわたって素質なるものは自分とともにある。24時間365日ずっと、だ。ならば、あとはそれを具体的なかたちで見出して自覚的に磨く、というプロセスを踏めばいいわけだが、これがなかなか見つからない、うまくいかないために皆難儀している。

 

難儀の原因は、「無意識に行う思考や癖は自覚しづらい」「才能・素質というのはこういうものだ、という決めつけや思い込みがある」「環境変化があまりなく、いまいる環境で顕在化するものしか素質として認知できていない」など色々あろう。

 

ここでは、その他の(私の勝手な)説として以下の点を記しておきたい。

 

一般的に、「才能」「素質」という言葉に対応する取り組みの括りが大きすぎる。

→ だから、もっと要素を細分化して、そのレベルでの才能の有無を個別に見ていくべきだ。それによって、「○○というジャンル全般において才能があるかないか」という極端な二元論に陥ったり、それによって落ち込んでしまいチャレンジを諦めるといったことを避けられるはずだ。

 

例をあげる。

 

(例)才能の代表格である「音楽の才能」について。「音楽の才能があるかないか」という話はいつでもいくらでも聞くわけだが、そのたびに思うのは、「音楽の才能」は実際は様々な要素から複合的に構成される能力であるという当たり前の事実が、なぜか才能の議論になると極端に無視されがちな気がするという問題。

 

ガチャガチャ言っているが、要するに「音楽の才能」っていう括りは広すぎませんか、ということだ。

 

たとえば私は趣味でエレキギターを弾くし、簡単に作編曲もやったりするが、いかほど自分は音楽の才能があるのだろう? とたまに思うことがある。

 

こういう自問をした場合、結論からいうと、全体としては「私は音楽の才能は『ある』かつ『ない』」にいつも落ち着いてしまう。世界レベル、プロレベルには到底なれないだろうが、趣味レベルであれば多分平均よりも上手くできるだろう、と、解像度が低いままで分析が終了する。

 

 

だが、音楽の能力とはいったい何があるだろうか、と細分化すると、実は(言ってしまえば当然なのだが)能力別に得意不得意があったりする。音楽をやる上で、私の苦手な項目をあげてみよう。

 

・私は、リズムでグルーヴを生み出すのは苦手だ(練習で一定に保つことはできるようになったが、曲を通してグルーヴ感を出すことはいまだにできない)

・リズムパターンを多彩につくることがあまりできず、単調になる

・リズムでどう遊べばいいか体感覚としてよくわからない

・レイドバック(詳細は省くが、ジャズっぽいリズムのノリ)が色々工夫しても一向に習得できず、やってるうちにシャッフルのノリになってしまう

 

→ 全体的に、リズム系の感覚が鈍いといえる。

  ゆえにシビアなリズム感の要求される黒人音楽などは難しく感じる。

 

重要なのは、これらはどれも訓練で伸ばせるけれども、できる人は最初からそれなりの水準でできている点である。上記のリストを見て、「いや、それは単に練習不足だろう」「集中して時間を投下して練習すれば、できるようになるよ」という項目ばかりに思えるかも知れない。実際それは当たっている。趣味なので、必ずしも毎日弾くわけではない。そうなれば当然毎回腕はなまるし、上達は少しずつになる。私自身、才能論はさておき練習するときには「やってればそのうちできるようになるだろう」という心構えでやっている。そうでなければ、練習するモチベーションにならないからだ。

 

しかしそれを差し置いても、個人の経験上の話にはなってしまうが、個々の要素能力ごとにみると「できている人は最初からできている」と実感するものは多い(そして冒頭の行動遺伝学の話は、この「才能にまつわる個人的な仮説」を裏付けてくれたと考えている)。

 

「最初からできている」例として、私の経験を話してみよう。

 

ーーーーー

私には妹がいるが、彼女は学生時代を通してバレエ、チアリーディング、ダンスなどをやっていた。当然発表会や文化祭など事あるごとに(なかば強制的に)招待されるので、小さい頃から彼女のステージは数多く見てきた。それでわかっているのだが、彼女は最初から「リズム感」があった。適切なタイミングで適切なアクションをとれるのだ。しかもブレがない。ここは一緒に踊っている他の子との比較で(失礼ながら)よくわかる。ぎこちない子は、やっぱりぎこちない。少し複雑なリズムになると、やや遅れたり、やや早かったりと変動が大きい。「頑張ってついていってる」感がこちらにもわかる。一方、妹は「ノレている」のがわかった。リズムにオンタイムでミスなくついていける。彼女はそれがおそらく自然にできている。同じ量練習しているのだから、私の妹だけが他の子に比べてリズムの特訓をしていて、そのぶん上手くできる、というわけではなさそうである。

 

そんな彼女は大学に入って、音楽をやりたいということでベースを始めた。私がもともとギターをやっているのもあり、最初はギターもちょろっと弾こうとしたのだが、「コードが押さえられない」「和音の違いがよくわからない」「指が思うようにうまく動かない」「手をいろんな形にするのがどう考えても無理」「ちまちま基礎練習するのは苦手」と思ったらしく、ギターはやめてベースにしたようだ(もちろん、純粋にベースがやりたかったという気持ちもあるだろう)。

 

しばらく経ってみると、彼女は短期間で随分上達した。もちろん誰でも初心者のうちはゼロからスタートなので、上達速度は早い傾向があるが、彼女は特に、リズムにきちんとノレていた。この点に関しては、私がギターを始めたときよりも上達が早かったと思う。なぜか。もともとできるからだ。しかし、リズム以外では、彼女はいまだに指がうまく動かないし、細かいフレーズを弾くのは「やりたくない」、音程がどれくらい離れているかの感覚はあまり鋭くはない。これはもちろん、リズムの上達速度に対して相対的に「遅い」「伸びていない」だけで、練習すればできるようにはなるだろう。

 

ちなみに、一方で私は彼女とは逆だった。リズムが苦手で、一定にキープしたり、ノリを作り出せるようになるにはかなり時間がかかった。今でもグルーヴを出すのは苦手だし、作曲するときもドラムやパーカッションは何をすればいいかあまり見当がつかない(そのためベースでリズムを作り始めることが多い。音程と音価の長さがセットでないとうまくリズムをイメージできないのだ)。だが、音程の把握や和音の構成音の把握、細かい響きやニュアンスの違いを把握する点においては、比較的初期から「なるほどね」と理解できた。ギター指板から自分でコードを考えて、そこから進行をつくったりすることも、ある程度ではあるが遊んでいるうちに勝手にできた。演奏面でいえば、ハンマリングやプリング、スライドを多用したレガート奏法など、細かい指の動きは最初からそこそこ得意だった。

 

気質的な得意不得意もある。私の妹は、みんなとやるライブがあるからこそ、楽器を練習するモチベーションになっていた。一緒に楽しみたい、一緒にノリたい、一緒に何かをつくりあげて発表したい。その意味で、おそらく彼女にとってはバンドもバレエやチアと同じだ。だから、バンド練習やライブがあると燃えるし、深夜まで熱心にやっている。その反対に、そういうものがないとき、自宅で一人でコツコツ練習するのは苦手そうである。音を出して遊びながら「こうしたらどんな音になるのかな」とひたすら試したりすることはあまりしない。つまり「一人遊び」や「探求」はそこまで好きでもなく、そもそもやり方がよくわからないのだ。

 

一方、私は一人遊びが大好きだ。暇だ、となったらひとまずギターを手に取る(または読書。そうでなかったら、スマホで何かの用語の意味を延々調べている)。適当に指鳴らしをしつつ「そういえば、アレ練習するか」と思いついたら、その場で簡単に練習メニューを脳内に組んで、チマチマ練習する。用事がなければ、そのまま平気で5時間とか6時間やり続ける。手と足がさすがに疲れてきた、となって初めて時計を見て、「え、もうこんな時間」となるのが日常茶飯事である。

 

楽器のいいところはフィードバックが早いところで、上手く弾けるとそのまま音に現れるため報酬も得やすい。だから、もともと一人遊びが好きなのに加えて、より長く続けやすいところがあると思う。逆に、バンドはやったことがあるものの、どちらかというとあまり積極的にはやりたくない、ということが大学時代に判明した。理由は、練習のペースを合わせるのが苦痛に感じてしまうこと、やる曲に個人的に何らかの「エモさ」を感じないとやる気がまったく出ないこと、「複数の人と人間関係を構築して長期間だれずに何かを一緒にやる」というのが非常にしんどいことなどが挙げられる。要するに協調性が全くないし、協調するつもりが始めからあまりない。「社会で生きる上では、ちゃんと協調しなければ」と頭では理解しているのだが、協調しようという心の底から自然と湧いてくる動機が、他の人と比べてかなり弱い。そういうわけで、楽器は家で一人でやるに限る、という結論に至った(ただし、突発的なジャムセッションは好きである。その場限りで終わるからだ。だから、たまに友人とスタジオにいって音を出すのはとても楽しい。つまりは、人と演奏すること自体が嫌いなわけではなく、そこに至るまでの人間関係のプロセスが面倒なのだろう)。

 

また私は性格として、細かい作業が好きである。細かい作業をした結果、きれいなものができると嬉しい。だから小さいときは、細かい迷路を書くことや、プラモデルや書道が好きだった。書道も、おおらかに勢いで書くタイプではなく、小さくて細かい文字を1000字くらいびっしり書くのを好んだ。ミスできない緊張感が案外好きなのだ。

 

実は妹も一緒に書道教室に行っていたが、ここでも性格の違いは出ていたと思う。妹は、女の子ながらのびのびと男らしい筆運び。形はお手本的ではないが、なんとなく味がある。私は、それが上手くできない。お手本をよく見て、厳密に書く。大筆より、小筆やペン字が好き、というタイプだ。大筆で書くにしても、どことなく神経質な仕上がりになってしまう。あえてそうしようとしているというより、勝手にそうなってしまうのだ。見せに行くと「もっとのびのび書いていいのよ」と先生によく言われたものである。ならば、と、のびのび書いてみたつもりのものが「あなたすごく丁寧に書くのね」と言われてしまったりする。それで、まだ「のびのび」が足りないというのか・・・と愕然とする。こんな調子だったと記憶している。

 

私は、体力がないこともあり、山登りやスポーツはすぐ諦める。疲れるし、なんでこの人たちと一緒にやらなあかんの? となって、小さい頃はよく顰蹙を買っていたものだ。しかし、一人だけで行う「細かい作業」では、自分で言うのはなんだが人並みを大きく超えて粘り強い。何度ミスしたとしても「ああーーもう!!!!」とは絶対にならない。「あ・・・まあ、やり直すか」と思える。

ーーーーー

 

こんな風に、同じ「音楽」「書道」でも、私と妹では全く適性が異なることがわかる。

 

色々言ってきたが、私が言いたいことはごく当たり前かつ単純だ。

 

「◯◯(ジャンル名)の才能があるかないか」というのは解像度が低い考え方なのでやめたほうがよい。たとえば、「音楽の才能はあるだろうか」「書道の才能はあるだろうか」などだ。そうではなく、その営みを細分化し、自分の適性や性格を考慮した上で、フィットするところはあるかもしれない、と考えたほうが建設的である。

 

その上で、ストレングスファインダーなどのツールを活用しつつ、色々と経験を積んで適性を絞っていくのがよいのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

さて、眠気ざましに文章を書こうとしたら、いつのまにか1限に遅刻しそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

記念すべき第一作「MS-07B グフ ver.2」買ってまいりました

Paltaniusです。

 

記念すべきブログ1作目の機体を本日買ってまいりました。

 

「MS-07B グフ ver.2.0」でございます。

 

グフでいく、というのはそこそこ早い段階で決まったのですが、

ver.1.0か、ver.2.0かで結構悩みましたw

 

 

個人的な印象として、

 

ver.1.0:

見た目はマッシブでカッコイイが、可動面がクソなのと、つくるのがダルい

(動力パイプのゲート処理地獄、ビスのネジ山が埋まるトラウマ、合わせ目)

 

ver.2.0:

可動良しで合わせ目もないが、アニメ調が気に食わない。特に頭と胸がダセエ

→ best of「どうしてこうなったんや・・・」

 

というかんじがあります。

ま、パイプは2.0でも結局ゲート処理するんですがね。

 

 

ザクⅡ ver.2.0は神キットだったので、

「こりゃジオンMSくるで!グフどんだけかっこよくなるんだろうなあ」

(昔グフが一番好きだった)

 

と昔期待を膨らませたもんですが、

いざグフver.2.0がきてみると・・・

 

「コレジャナイ・・・」

 

 

 

 

いやいや、そうじゃないでしょと。

グフver.1.0もグフカスも、かっこよかったやん。

 

グフはあれでいいの。

あの方向性でいいから、可動と組み立て設計をなんとかしてくれれば、

それで私は満足なの。

 

なのに、どうしてこのタイミングでアニメ回帰??

ダサいじゃん。ダサすぎるじゃん。

 

私、ダサいMS嫌い。

 

ねえバンダイ聞いてる??

 

 

・・・

 

 

 

 

 

はい。まあいいです。もう買ったしね。

生きてる間にver.3.0つくってくれればいいさ。

 

 

なんやかんやver.2.0を買ったのは、やっぱ、可動とつくりやすさです。

見た目は多少いじればなんとかなるんじゃないかっていう期待もあり。

 

頭と胸板を改造すればイケなくはない男になるでしょう、と。

下半身は悪くないのだから。

 

問題は上半身と顔。

顔つきが情けないのも気に食わないし、全体的にエッジが丸くて覇気がない。

あとカラーがちゃちくてダサいのがよくない。

 

 

つまり、私がサポートさえすれば彼はいい男になれるの、ということです。

ただもちろん「なあなあで付き合うものの、ドツボパターン」の可能性もあります。

 

たいていこの場合彼はどうしようもないダメ男で、

「私」もどっちかっていうとダメです。

 

でも、諦めたらそこで試合終了なのです。

 

 

彼を変えてあげるほどの器量と技量があるのかどうか、

試してみようじゃありませんか。

 

 

ま、プラモ作り復帰して最初の1機目ですから?

我慢して最後まで付き合ってあげてもいいかなって^^

 

 

 

 

 

てか、ひさしぶりにガンプラコーナーいったんですけど、

知らない間にずいぶん新しいキットでてますね。

 

一年戦争宇宙世紀フリークの自分としては、

新しいシリーズの機体はよくわからんので食指が動きませんでしたが

(一緒に行った友人も然り)、

 

じわじわとジム・スナイパーⅡなりが出ていたりと充実度を増しているようです。

つーかジムスナもいいけど、MGザクⅠ ver.2.0はまだですかバンダイさんよぉ。

ガンダムはもうええんじゃ。

 

 

 

どうもキラキラヒーロー機はつくる気が起きないんですよねえ。

かっこいいんですが、あまりに完成されてしまっているので、

作り手の解釈の余地がないといいますか、綺麗すぎてつまらんのです。

 

 

いや、ガンダムも、フリーダムとかνガンとかも好きなんですけどね、

 

もともとiglooや『一年戦争全史』とかいうクソ渋い資料から入って

ガンプラ作ってるので(笑)

 

兵器としてのリアリティや愛着が湧かないと、つくる気が湧かない。

量産機マンセーでござる。

 

 

あと、単純にヒーロー機はパーツ数が多い。

純粋に「だるい」です。

 

ユニコーン、お前のことだよ。

 

 

 

あかん、話がずれた。

 

 

で、買いました、と。

 

買いつつですね、

もうひとつやるべきことがあります。

 

 

 

「背景設定」です。

 

量産機をアレンジするところにオリジナリティを発揮したいのが我々の性分ですので、

ここにはこだわりたい。

 

もちろん、二次創作である以上、いかに背景設定を凝ったところで

「ぼくのかんがえたさいきょうのもびるすーつ」と同じようなもんですが、

考えるからにはガチでありたい、なんでもアリにはしたくない。

 

「ありうる」ものをつくりたい。

 

ということで、本日は一年戦争史とグフ開発経緯の振り返りにあてました。

(経緯まとめは別途記事にかきます)

 

 

調べるうちにわかったのはですね、

「グフの設定雑すぎやんけ」ということです。

 

よくよく考えれば(いや考えなくてもか)兵装が謎だし、

開発時期もふんわりしてるし、

設定と劇中のセリフなんかの整合性がとれなかったりする。

 

どの戦闘区域でどう運用して戦っていたのかも、

案外想像しにくかった。

 

ver.1.0のグフは背景が砂漠でしたけど、

そもそもグフ砂漠にいたのか?いたとすればいつ、どの砂漠にいたの?

 

てかグフが生産されたのいつ?

どこ生産?どうやって輸送した?

 

など、疑問は尽きない。

 

 

地味にスルーされがちですが、グフ、結構厄介な子でした。

ま、おいおいまとめますが、

 

結論だけ述べておきましょう。

 

 

 

 

 

我々がつくるグフのコンセプトは、

 

「愚直に強くて、最高に面白くないグフ」

 

です。

 

 

オデッサ降下以降、キャリフォルニアベースで開発されたグフがオデッサ基地で生産され、5月のトライデント&ジャベリン作戦にも投入された。

作戦までに、まずオデッサからイスタンブール方面の陸路を通じて南下。

開始と同時にエルサレムに向かって進撃し、先にアレクサンドリアを制圧していた「トライデント作戦」組と挟撃する形でエルサレムを制圧する。

 

という前提のもとに、

 

「考えうる現実的なグフ」をつくります。

 

この時期、もちろん連邦軍にMSはいない。

主力は戦車と歩兵による陸上部隊と、航空戦力です。

 

つまり、ここでのグフに「白兵戦用MS」という概念は当てはまらない。

ではどう運用されたか?

 

それを、このシチュエーションのなかで考えていく予定です。

 

 

まだ途中ではありますが、リサーチも兼ねて、

別記事に背景をまとめようかと思います。

 

 

 

さーて、うまくいくでしょうかw

 

 

なんか謎テンションで書いちゃいましたが^^;

今日はこんなところで。

どうもでした^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.

 

どうでもいいですが、MGゼータプラスが店頭にいる率、

生MGゼータより高くないですか?

 

あとランバ・ラル専用ザクⅠも、古いキットなのによくいるイメージ。

ザクⅠ需要をあいつが吸収してるんでしょうかw

 

 

 

 

p.s.2

 

旧キットといえば、

 

10年ほど前はver.2ザクⅡが出たての頃で、

その出来の良さに感動してたんですが、

もう年代でいえば「旧キット」扱いでもおかしくないという・・・

 

だって、当時における「10年前」は、

MG自体そんなにラインナップなかったですからね。

時の流れは恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初投稿

 

どうも、Paltaniusです。

ブログ始めちゃいました。

 

主にガンダムのプラモデルを、

勝手な解釈など交えながら作っていこうかなーという主旨でございます。

 

というのも、

いろいろな経緯があってプラモはここ数年まともにつくってなかったんですが、

最近親友と「またつくろうか」という話になったのです。

 

で、どうせだから作品以外にも形に残そうかと思い、

(いつまで続くかは不明ですが)ブログでもやってみようかなと、

そういう経緯であります。

 

 

 

で、なんの脈絡もありませんが、一記事目が殺風景なのもアレなので、

10年ほど前につくったものを載せてみますw

 

 

 

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MS-06F。

改造はモノアイを金属パーツとH.EYESに換装+バーニアを金属パーツに交換。

それだけです。

 

普通、ウェザリングは塗装の上からやりますが、

このときは実験的に「ガンメタル→シルバー→白」の順に塗装し、

あとから削ったり、やすったりしてウェザリングしております。

 

実際の剥げ方を真似してみたのですね。

やりすぎ感は否めませんが、案外うまくいったっぽいと自負しております。笑

10年前の自分にしては。

 

たしか写真をとったときは完成前だったので、ボディだけやたら削れてますがw

一番干渉するはずの脇が白いのは許してください。

 

ちなみに、左ももが右ももより擦れているのは、銃を打つ際に出す足が左足だから、

という理由です。

(他にも、体をねじる方向は、銃の射角的に左方向が多いだろう、

というのも理由のひとつ)

 

実際どうなるんでしょうね^^;

 

 

 

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謎のロングバレルザクマシンガン。

完全見た目重視で作ったので、なぞのチューブやらついてますが、

特に意味はありません。

 

もう一度言いますが、特に意味はありません。

 

長物をつくりたい、誰だって、そんな時期が一度はあるでしょう。

 

 

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あと、加工したJ型ザクもついでに。

 

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歩兵視点での決死のスナップ、というイメージで撮りたかった気がします^^;

ザクは下から見上げると怖いのです。

 

背景がしょっぱいのがアレですが・・・

写真技術も向上していけるといいですねえ。

 

 

 

 

とまあ、こんな感じで。

10年いきた人生経験が果たしてプラモ製作技術に結びついているのか、

乞うご期待くださいませ!笑

 

 

ではでは^^